他者のために表現するとき、


その人の思いを、

代わりに語らない。

米津玄師さんが、
2026 NHKサッカーテーマとして
『烏』を書き下ろした。

サッカーのテーマソングでありながら、

勝利を掲げない。

団結を求めない。

選手の思いを、
代わりに語ることもしない。

歌われているのは、

子供の頃に見た漫画。

古い携帯電話。

誰かがいなくなったあとの空席。

受け取る人への言葉が集められた、
寄せ書き。

米津さん自身が生きてきた、
極めて個人的な記憶である。

なぜ、

多くの人が同じ勝利を願う場所で、
自分自身の記憶を歌ったのか。

そこには、

他者の思いを代弁せずに、

その人へ届くための方法がある。

選手の内側は、分からない

米津さんは、
長くサッカーを観てきた。

選手がピッチを走り、
得点が生まれた瞬間、
スタジアム全体が高揚する。

自分の音楽活動にはないその熱量を、
自分から遠いものだからこそ、
美しいと語っている。

けれど米津さんは、
選手ではない。

監督でも、
競技を支える当事者でもない。

選手が、

何を背負っているのか。

何のために戦っているのか。

勝利に、
自分の人生をどこまで賭けているのか。

外側から、
そのすべてを知ることはできない。

だから米津さんは、

選手の思いを想像して、

代わりに語ることをしなかった。

ひとつの物語にしない

サッカー選手を主人公にして、
その人生を描くこともできた。

勝利への執念。

仲間との絆。

挫折から立ち上がる意志。

そこに物語を与えれば、
多くの人が理解できる応援歌になる。

けれど、

同じピッチに立つ選手でも、
背負っているものは同じではない。

勝利へすべてを賭ける人もいる。

期待を力に変える人もいる。

背負わされたものの重さに、
苦しむ人もいる。

外側にいる人間が、
その内側をひとつの物語にすれば、

異なる人生が、
分かりやすい感動へまとめられてしまう。

相手を理解しようとすることと、
相手の思いを決めることは違う。

米津さんは、
自分に分からないものを、

分かったことにしなかった。

集団の中に、個人を残す

サッカーには、
勝敗がある。

選手も観客も、
同じ勝利を目指して集まる。

だから応援歌には、

仲間を信じること。

力を合わせること。

敵に打ち勝つこと。

全体をひとつにする言葉が求められる。

けれど、

同じ勝利を目指すことと、
一人ひとりの内側まで同じになることは違う。

集団には、
全体の目的がある。

その中にいる人には、
それぞれの人生がある。

米津さんが『烏』に置いたのは、

集団を離れなくても、

個人でいられるということだった。

自分の人生なら、語れる

選手の内側は、
米津さんには語れない。

けれど、

自分が生きてきた人生なら、
自分の責任で語ることができる。

だから『烏』では、
米津さん自身の記憶が歌われた。

子供の頃に見ていた漫画。

昔使っていた携帯電話。

過去に出会った人。

今も残っている傷。

それは、
サッカー選手の物語ではない。

けれど、

役割や期待の中で、
自分自身を見失わないという点で、

サッカーの中にいる個人と重なる。

米津さんは、

「自分を失わないでほしい」と、
選手へ言葉を向けたのではない。

自分が、
自分の始まりへ戻っていく姿を歌った。

他者に何かを命じる代わりに、

自分の人生を差し出した。

始まりへ触れ直す

大人になるほど、
人には多くのものが積み重なる。

役割。

責任。

期待。

経験。

社会の中で生きるために、
身につけてきた判断。

それらは、
今の自分をつくっている。

けれど、

積み重なったものによって、
子供の頃の自分が消えるわけではない。

最初に何を好きになったのか。

何に傷ついたのか。

誰に求められるより前に、
何を望んでいたのか。

見えなくなっても、
始まりは内側に残っている。

米津さんが過去を辿り直したのは、
子供の頃の自分を再現するためではない。

今の自分と、
始まりにいた自分を、
もう一度つなぐためである。

『烏』に置かれた記憶は、

役割を捨てるためのものではない。

役割だけが、

自分のすべてにならないためのものだった。

否定せずに、別の場所を残す

勝利や団結を否定すれば、
集団とは違う価値を示すことはできる。

けれど米津さんは、

勝つことも、
すべてを背負って戦うことも、
否定しなかった。

その生き方を選ぶ人が、
実際にいるからである。

『烏』が示したのは、
それとは別の正解ではない。

勝利を目指しながら、
一人の人間でもいられること。

期待を背負いながら、
その期待から離れる時間も持てること。

集団の目的と、
個人の内側を、
同じにしなくてもいいということだった。

そのために、

選手の思いを代弁せず、
自分自身の記憶を歌った。

一人の人間が、
自分へ戻っていく姿を置くことで、

同じ場所にいる人にも、

自分へ戻れる場所を残した。

自分の話だから、他者へ届く

米津玄師さんが差し出した個人的な記憶は、
聴く人が自分自身へ戻るための歌になっている。

作り手の人生と、
聴き手の人生は異なる。

それでも、
一人が自分の始まりを辿る歌に触れ、
聴く人もまた、
自分が何を感じ、何を望んでいたのかを
辿り直すことができる。

選手の思いをひとつにまとめず、
一人ひとりが自分へ戻れる場所をつくる。

代弁しないという選択が、

他者へ届くための方法になっている。

Sources / References


Interview
米津玄師「烏」インタビュー|あの頃を辿り直して 構造の中に吹かせる柔らかな風
音楽ナタリー|2026年6月15日

Music
『烏』
作詞・作曲:米津玄師

2026 NHKサッカーテーマ

つながる一篇


vol.32 同じ層は、どこかにいる

その音楽家は、
サッカーのテーマソングで、
選手の思いを代弁しなかった。

歌ったのは、
自分自身の記憶だった。

なぜ、自分の人生を歌うことが、
他者の内側に届く方法になるのか。