Essay 04
人間関係において、
「理解し合うこと」は
美しい理想として語られることが多い。

分かり合えたとき、
関係は深まる。
誤解が解け、
距離が縮まる。

そう信じられている。

けれど、
理解し合うことを
目標に据えた瞬間から、
関係は少しずつ
歪み始めることがある。

理解しようとする行為は、
ときに、
相手を把握しようとする欲望に
すり替わってしまう。

どんな人か。
なぜそう考えるのか。
どうすれば納得するのか。

それらを明らかにすることで、
関係が安全になると
思ってしまうからだ。

けれど、
人は完全には理解できない。

理解したと思った瞬間に、
相手は
自分の想像の中の存在へと
置き換えられてしまう。

そのとき、
生身の相手は
関係から静かに消えている。

理解し合うことを
目標にしない関係は、
冷たい関係ではない。

むしろ、
相手を
「分からないまま存在させる」
という態度を引き受けている。

分からない部分が残ること。
共有できない前提があること。
同じ場所に立てない瞬間が
繰り返し訪れること。

それらを
失敗と見なさない。

理解できないことを、
未熟さや努力不足として
回収しない。

その代わりに、
相手の輪郭が
自分の理解の外に
はみ出していることを
そのまま受け取る。

関係とは、
理解の量で
測られるものではない。

どこまで分かったかではなく、
どこまで
分からないままでいられるか。

そこに、
関係の持続可能性が
宿ることがある。

理解し合うことを
目標にしないとき、
人は少しだけ
楽になる。

説明しきれなくてもいい。
納得し合えなくてもいい。
同意に辿り着かなくても、
関係は成立しうる。

理解よりも先に、
尊重がある。

分からなさを
埋めるのではなく、
侵さない。

それは、
諦めではなく、
相手を
雑に扱わないための
ひとつの選択なのだと思う。



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