「あなたのためを思って言ってるんだよ」
その言葉に、少しだけ距離を取りたくなることがある。
内容が間違っているわけではない。
むしろ正しいことを言われている、と感じる場面も多い。
声の調子も落ち着いていて、
配慮や経験に裏打ちされた言葉のように見える。
それでも、
言葉が胸に届く前に、
身体がわずかに引いてしまう瞬間がある。
反発したいわけではない。
拒絶でもない。
ただ、その言葉が
自分の内側に向かって投げられたというより、
別の場所に立てられた何かを
支えるために置かれたように感じられる。
「あなたのため」という言葉は、
相手を思いやる形をしている。
同時に、
話し手自身を安心させる役割も
静かに担っていることがある。
善意そのものが問題なのではない。
誰かを助けたい気持ちや、
役に立ちたいという思いは、
人と人の関係をつないできたものだ。
ただ、ときどき
その言葉の主語が、
どこに置かれていたのかが
気になることがある。
本当に相手に向けられた言葉だったのか。
それとも、
「そう言う自分」でいるための言葉だったのか。
その違いは、
言葉の内容ではなく、
間や距離の取り方に
表れてしまう。
言われた側は、
感謝すべきなのか、
受け止めるべきなのかを
一瞬で判断しなければならない。
そのわずかな緊張が、
言葉の重さとして残る。
本当に相手のためを思う言葉は、
受け取る側に
選ぶ余白を残しているのかもしれない。
従うことも、
保留することも、
黙って置いておくことも
許されている状態。
あのとき感じた距離感は、
優しさを疑ったからではなく、
その言葉が
誰の安心を支えていたのかを
身体が先に測っていただけだったのだと思う。
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Raffinē
内側の美と、思考の記録。