Notes 06
違和感を言葉にできる人は、
ときどき孤立する。

それは、
主張が強いからでも、
感情的だからでもない。

むしろ逆で、
場を壊したいわけでも、
誰かを責めたいわけでもないことの方が多い。

ただ、
構造の中で起きているズレを、
言葉にできてしまう。

それだけのことだ。

多くの場は、
暗黙の了解によって
滑らかに動いている。

気づかないふり。
聞こえなかったことにする配慮。
曖昧さを保つことで
成立している均衡。

そこに、
「何が起きているか」を
言葉として置いてしまうと、
均衡は一瞬揺れる。

誰かが悪者になるわけではない。
ただ、
見ないことで保たれていた配置が、
露わになる。

それは、
居心地の良さを奪う行為として
受け取られることがある。

だから、
違和感を言語化できる人は、
説明役になりやすい。
空気を読まない人として
誤解されやすい。

実際には、
誰よりも空気を読んでいるのに。

孤立は、
拒絶の結果ではなく、
位置のずれから生まれることがある。

構造の外に立ってしまった人は、
中にいる人たちと
同じ温度で語れなくなる。

それでも、
言葉にできることは
失われない。

むしろ、
誰も言語化しない場所に
立っているからこそ、
見えてしまうものがある。

孤立は、
間違いの証明ではない。

それは、
視点がずれたことの
副作用として
一時的に現れているだけなのかもしれない。



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