それでも人と関わろうとする理由は、
はっきりしていない。
孤立が楽になる瞬間もある。
構造を説明しなくていい。
空気を整えなくていい。
自分の感覚を、
誰かの理解に合わせて
削る必要もない。
それなのに、
完全に離れることは選ばない。
理由は、
理想や善意とは少し違う場所にある。
人と関わることで、
何かを得たいわけでも、
分かり合いたいわけでもない。
まして、
正しさを共有したいわけでもない。
ただ、
構造の外に立ち続けると、
感覚は澄む一方で、
世界の温度が失われていく。
言葉にならないざらつきや、
説明のつかない揺れ。
その不完全さが、
人とのあいだには
まだ残っている。
違和感を抱えたままでも、
沈黙を選びながらでも、
完全に切り離さずに
関係を続ける余地はある。
それは、
近づくことでも、
理解し合うことでもなく、
ただ、
同じ場所にい続けるという選択。
距離を測りながら、
踏み込みすぎず、
離れすぎず。
構造を見たまま、
それでも席を立たない。
人と関わる理由は、
希望ではなく、
残ってしまった感覚のためかもしれない。
まだ、
何かが起きる可能性を
完全には捨てきれない。
その未確定さに、
わずかに身を預けているだけ。
それでも関わる、という判断は、
前向きでも、
後ろ向きでもない。
ただ、
世界との接点を
ゼロにしないための
静かな選択なのだと思う。
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Raffinē
内側の美と、思考の記録。