言葉を手放すという選択も、
確かにある。
違和感に気づき、
構造を理解し、
距離を取ることができるなら、
もう説明する必要はないのかもしれない。
沈黙のほうが正確な場面もある。
言葉は、
ときに世界を粗く切り分けてしまうからだ。
それでも、
言葉を完全には捨てなかった。
理由は、
伝えたいからでも、
分かってほしいからでもない。
ただ、
言葉にしないままでは、
自分の位置が
曖昧になってしまうことがある。
構造を見て、
距離を測り、
離れることも選んだ。
それでも、
何を感じ、
どこに立っていたのかだけは、
言葉として残しておきたかった。
それは主張ではない。
正しさの提示でもない。
ただ、
「ここにいた」という
痕跡に近い。
言葉は、
誰かを動かすためのものではなく、
世界との接点を
自分の側に引き留めておくための
印だった。
沈黙だけでは、
すべてが流れてしまう。
けれど、
言葉が少しでも残っていれば、
戻る場所がわかる。
それでも言葉を捨てなかったのは、
関わり続けるためでも、
孤立を避けるためでもない。
ただ、
自分が測った世界を、
なかったことにしないため。
言葉は、
橋ではなく、
境界標として
そこに置かれている。
越えるためでも、
渡らせるためでもなく、
どこまで来ていたのかを
忘れないために。
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Raffinē
内側の美と、思考の記録。