役として相手を見たとき、

その役にしか生まれない感情が、

二人のあいだに起きた。

俳優が見せる涙は、
実際に流れている。

怒りに声が震え、
悲しみに身体が動かなくなる。

その反応自体は、
嘘ではない。

けれど、

俳優自身の記憶から呼び起こした感情と、
役として相手を見たことで生まれた感情は、
同じではない。

映画『国宝』の撮影では、
役として生きる中で、
相手に動かされる瞬間があった。

役の人生を生き、
役として相手を見たことで、
それまで自分の中にはなかった感情が、
その関係から生まれていた。

芝居という嘘の中で、

本当の感情が起きていた。

嫉妬を、演じたのではない

喜久雄と俊介は、
ともに歌舞伎役者として育つ。

互いの芸を認め、
同じ舞台に立ちながら、
ひとつしかない場所を競っていく。

やがて二人は、
異なる時間を歩きはじめる。

喜久雄が役に恵まれず、
地方で不遇の時期を過ごす一方で、
俊介は評価され、
賞を受ける。

その姿を、
喜久雄がテレビで見る。

この場面について、
吉沢亮さんは、

「すごく嫌な感情が湧いてきました。
芝居という嘘の中にいるのに」

と語っている。

嫉妬しているように見せるために、
表情をつくったのではない。

喜久雄として不遇の時間を生きた状態で、
評価される俊介を見た。

だから、

喜久雄にしか生まれない感情が、
吉沢さんの内側に実際に起きた。

感情を準備して、
場面へ持ち込んだのではない。

場面の中に立ったことで、

感情が結果として生まれている。

相手がいるから、感情になる

感情は、
一人の内側だけで完成するものではない。

自分が、
どこに立っているのか。

目の前にいる相手と、
どのような時間を過ごしてきたのか。

その相手を、
どのような存在として見ているのか。

同じ表情を見ても、
関係が違えば、
起きる感情も変わる。

喜久雄にとって俊介は、
ただの競争相手ではない。

ともに芸を磨いてきた仲間であり、
自分にはないものを持つ存在であり、
ひとつの場所を争う相手でもある。

認めている。
大切に思っている。

それでも、
相手の成功を喜べない。

複数の感情が同時に生まれるのは、
二人の関係が、
ひとつの言葉では表せないものだからである。

嫉妬という感情だけを取り出し、
一人でつくったのではない。

相手との関係に反応した結果、
嫉妬を含む感情が起きている。

感情は、
その人だけのものに見える。

けれど、その形を決めているのは、

目の前にいる相手との関係である。

目から、感情を受け取る

中年期の喜久雄と俊介が、
再び「二人道成寺」を踊る。

二人が舞台上で目線を合わせたとき、
横浜流星さんは、
吉沢さんの目から、
喜久雄のさまざまな感情を感じたと語っている。

横浜さんが、
俊介の感情を一人で完成させてから、
吉沢さんを見たのではない。

目の前にいる喜久雄から、
感情を受け取った。

その喜久雄に、
俊介として反応した。

吉沢さんが、
喜久雄としてそこにいる。

横浜さんが、
俊介としてその姿を見る。

一方の内側にあるものが、
視線を通して相手へ届き、
受け取った側の内側に、
別の感情を生む。

そして、その反応が、
再び相手へ返っていく。

二人の感情は、
それぞれの内側だけで完結していなかった。

互いの反応によって、
感情を動かし合っていた。

感情があって、
関係が表現されたのではない。

関係が成立したことで、

そこに感情が生まれている。

一瞬を生む、蓄積

目線が合い、
感情が動く。

起きていることだけを見れば、
一瞬である。

けれど、

その一瞬は、
突然生まれたものではない。

二人は撮影に入る前から、
一年以上にわたり、
歌舞伎の踊りや所作を
身体へ入れてきた。

その時間がつくったのは、
役に必要な技術だけではない。

同じ動きを覚え、
同じ舞台に立ち、
二人で踊る。

その時間の中で、
喜久雄と俊介が生きる世界を、
身体の内側に成立させていった。

さらに、

二人の人物が何を持ち、
何を失い、
互いをどのように見ているのかを通ってきた。

つくり上げたのは、
感情そのものではない。

役として立つ場所と、
相手との関係である。

その蓄積があるから、
相手の目を見るだけで、
内側が動く。

感情を細かく決めなくても、
その場に必要な感情が起きる。

一瞬の反応は、

長い時間によってつくられている。

役として、動かされる

目線が合い、
感情が動く。

起きていることだけを見れば、
一瞬である。

けれど、

その一瞬は、
突然生まれたものではない。

二人は撮影に入る前から、
一年以上にわたり、
歌舞伎の踊りや所作を
身体へ入れてきた。

その時間がつくったのは、
役に必要な技術だけではない。

同じ動きを覚え、
同じ舞台に立ち、
二人で踊る。

その時間の中で、
喜久雄と俊介が生きる世界を、
身体の内側に成立させていった。

さらに、

二人の人物が何を持ち、
何を失い、
互いをどのように見ているのかを通ってきた。

つくり上げたのは、
感情そのものではない。

役として立つ場所と、
相手との関係である。

その蓄積があるから、
相手の目を見るだけで、
内側が動く。

感情を細かく決めなくても、
その場に必要な感情が起きる。

一瞬の反応は、

長い時間によってつくられている。

つながる一篇


vol.59 空けておく

その俳優は、
自分の中にあるものから役をつくる。

けれど、
自分だけでは、完成させない。

共演する相手。
観る人。
まだ出会っていない役。

他者が入る場所を空けておくことは、
彼の演技や佇まいに、何を生むのか。