同じものを見ていなくても、

同じ存在に出会うことはできる。


それぞれの関心が、

一つのグループへつながっていく。

なぜ今、
M!LKさんに
「次の国民的アイドル」という言葉が
向けられ始めているのか。

それは、
人気が大きくなったからだけではない。

いま、
「国民的」という存在の生まれ方そのものが、

変わり始めている。

「国民的」の入口が変わった

かつては、
多くの人が同じ番組を見て、
同じ存在に出会っていた。

けれど今は、
人が誰かに出会う経路そのものが、
分かれている。

音楽から知る人。

ドラマから知る人。

SNSから知る人。

一人のメンバーから知る人。

同じ存在へ辿り着くまでの入口が、
ひとつではなくなった。

「国民的」になるための経路も、

ひとつではなくなっている。

5人それぞれが、入口になる

そのなかで、
M!LKさんは広がり始めている。

『イイじゃん』や
『好きすぎて滅!』といった楽曲。

俳優として作品に出演する
佐野勇斗さん。

メディアへの出演を通して、
ビジュアルにも注目が集まる
山中柔太朗さん。

バラエティで
飾らない人柄を見せる
塩﨑太智さん。

英語や気象予報士の勉強など、
知性という入口を持つ
曽野舜太さん。

トークや音楽から
別の層へ接続する
吉田仁人さん。

誰もが、
同じ理由でM!LKさんを知るわけではない。

5人それぞれが、
違う場所にいる人と

M!LKさんをつなぐ入口になっている。

楽曲にも、入口がある

M!LKさんの楽曲には、
もう一つ、
入口を広げる構造がある。

覚えやすい言葉。

繰り返されるフレーズ。

真似できる振り付け。

一度見ただけでも、
記憶に残り、
誰かと共有できる。

それは、
ファンだけが理解できる記号ではない。

『イイじゃん』『好きすぎて滅!』は、
単にキャッチーなのではなく、

知らない人でも参加できる
「共通記号」になっている。

知ってから参加するのではない。

参加することで、
M!LKさんを知っていくことができる。

入口が、

ファンの外側まで開かれている。

入口が多いだけでは、ひとつにならない

ただ、
入口を増やせば、
人がグループへ集まるわけではない。

個が強すぎると、
「○○さんのファン」で
止まることがある。

反対に、
グループの色が強すぎると、
初めて触れる人には、
入りにくい場所になる。

M!LKさんには、
5人それぞれに違う個性がある。

けれど、
誰か一人が
グループ全体を覆っているわけではない。

互いの個性を消さず、
同時に、
互いを圧迫しない。

だから、
一人から入った人が、
その先にいる4人へ触れられる。

個人への興味が、
M!LKさんへの興味へ移っていく。

入口は分かれている。

けれど、

その先にある場所は閉じていない。

違う入口から、同じ場所へ

音楽から来た人。

ドラマから来た人。

バラエティから来た人。

SNSから来た人。

一人のメンバーから来た人。

出会った場所は、
それぞれ違う。

それでも、
その先でM!LKさんへ辿り着く。

これは、
全員が同じものを見ていた時代とは
違う広がり方である。

分かれているものを、
無理に一つへ戻すのではない。

違うまま、
同じ存在へ接続していく。

M!LKさんの広がり方は、
分散した現在の社会そのものを、

入口として使っている。

5人が、一つになる場所

だからこそ、
M!LKさんにとって
冠番組の存在には、
単なる露出以上の意味がある。

『M!LKの爆裂ミッション』のように、
5人が一緒に出演する番組。

それは、
それぞれ違う場所から
M!LKさんを知った人が、
5人を一緒に見ることのできる場所になる。

俳優として知っていた人。

バラエティで知っていた人。

SNSで見たことがあった人。

それまで別々に存在していた入口が、
そこで、
一つのグループの像へ結ばれる。

個人が入口を広げ、

5人でいる場所が、
それを一つへ束ねる。

個人活動とグループ活動は、
別々に存在しているのではない。

外へ広がる力と、
一つへ集める力として、

つながっている。

令和の「国民的」

かつてと同じ方法でなければ、
国民的になれないわけではない。

社会が変われば、
人が一つの存在へ集まる方法も変わる。

同じ入口から、
同じ存在へ出会うのではなく、

違う入口から出会い、
その先で同じ存在へ辿り着く。

M!LKさんに
「次の国民的アイドル」という言葉が
向けられ始めているのは、

単に、
人気が大きくなったからではない。

5人それぞれが入口となり、

楽曲が、
知らない人まで参加できる記号となり、

その先で、
初めて来た人も、
5人それぞれの魅力に触れられる。

その広がり方そのものが、

今の社会から
「国民的」が生まれる構造と、

重なり始めている。

つながる一篇


vol.44 国民的スター

人気の大きさだけで、
「国民的スター」になるわけではない。

自分から探さなくても、
そこに彼らがいた。

一つのグループは、
どのように、社会の記憶になるのか。