自分の人生を、
何によって決めるのか。
その選び方は、
やがて纏う空気にも現れる。
石田ゆり子さんには、
柔らかいのに、
芯のある空気がある。
その空気は、
生まれ持った雰囲気だけで
できているものではない。
石田さんが、
自分の人生を何によって決めてきたのか。
その内側の在り方が、
纏う空気に現れている。
息がしやすい方へ石田さんは、
どんなときも、
「自分の内なる声に従うこと」を
大切にしてきたという。
それは、
理屈ではない。
条件でもない。
こっちの方が、
「息がしやすい」
そんな、
身体の声に近いものだという。
どれだけ条件がよくても、
自分に合わなければ、
背中が痛くなる。
呼吸が浅くなる。
身体が、
拒否反応を起こす。
だから、
自分自身で見極める。
この判断の仕方を、
幼い頃の水泳の経験と重ねると、
自分で人生を選ぶことの意味が見えてくる。
水中から、陸へ9歳から始めた水泳。
一日に泳ぐ距離は、
平均1万メートル。
泳いでいる間は、
誰かと話すこともできない。
息が苦しくても、
泳ぎ続ける。
練習には、
一人が決められたタイムを超えると、
全員の本数が増える厳しさもあった。
妹の石田ひかりさんと、
休みたい。
でも、
今日休んだら明日はもっとつらい。
だから、
今日も行くしかない。
そう話しながら、
練習へ向かっていた。
けれど、
石田さん自身は、
水泳選手になりたかったわけではない。
高校生になったら水泳を辞めて、
美大へ進みたい。
自分なりに、
その先の人生を考えていた。
それでも、
水泳は続いた。
16歳で、
芸能界にスカウトされた。
そのとき、
石田さんとひかりさんは喜んだという。
「これでやっと陸に上がれる!」
その言葉からは、
泳ぐ生活から離れられる喜びが伝わる。
同時に、
自分が望んでいた方向へ、
人生を動かせる喜びも読み取れる。
自分の進みたい方向を持ちながら、
それとは別に決められた時間を、
長く生きてきた。
その経験と、
現在の選び方を並べると、
ひとつの問いが浮かぶ。
私は、
どうしたいのか。
自分の人生を決めるとき、
その問いを、
自分へ返すことができているか。
苦しかった時間も、受け取るただ、
石田さんは、
水泳の日々を否定していない。
むしろ、
今の自分の基盤は、
すべて水泳でできていると言う。
苦しかった。
辞めたかった。
それでも、
そこで仲間を信じることを知った。
誰かの頑張りを尊敬することを知った。
苦しいのは、
自分だけではないと知った。
自分の感覚に従うことは、
自分にとって都合の悪かったものを、
否定することではない。
嫌だったものからも、
受け取ったものは受け取る。
そのうえで、
次にどこへ向かうかは、
自分で決める。
もう一度、この人と芸能界へ入ってからも、
石田さんは、
最初から俳優になることを
目指していたわけではなかった。
初めて出演した映画、
『悲しい色やねん』では、
何もできない自分を、
森田芳光監督から厳しく叱られた。
傷ついた。
それでも、
後になって生まれたのは、
もう一度、
森田監督と仕事がしたいという気持ちだった。
今度は、
褒められたい。
緒形拳さんにも褒められたくて、
俳優をやっていたと語る。
石田さんを
俳優という仕事へ繋ぎ止めてきたものは、
「俳優として成功したい」
という自己像だけではない。
もう一度、
この人と仕事をしたい。
この人に認めてもらいたい。
この場所にいたい。
仕事を選ぶときも、
自分の役柄だけで
決めるわけではないという。
このチームに入りたいか。
自分自身が、
その作品を観たいと思うか。
肩書きより先に、
自分がその場所へ
入りたいと思えるかを見ている。
長く俳優を続けながら、
引き際についても考える。
一方で、
働くことは、生きること。
人生そのものだと言う。
これは、
矛盾しているようで、
矛盾していない。
石田さんにとって大切なのは、
俳優であり続けることだけではない。
自分が生きたいと思う方向へ、
自分で動いていることだ。
大切にする。自分そのものにはしない暮らしにも、
同じ構造が現れている。
石田さんは、
買い物が好きだと話している。
洋服。
食器。
リネン。
日常で使う小さなもの。
気になれば買って、
実際に使ってみる。
似合わなかったものもある。
無駄になったものもある。
そうやって、
自分で触れて、試して、
残ったものを大切にしている。
それなのに、
家のものが全部なくなったとしても、
平気だと思うという。
所有しているけれど、
所有物によって自分を定義していない。
これは、
仕事との関係にも似ている。
俳優という仕事を、
大切にしている。
人生そのものだと言えるほど、
長く生きてきた。
けれど、
俳優という肩書きによって、
自分自身を固定しない。
物も。
仕事も。
肩書きも。
大切にする。
けれど、
それを、
自分そのものにはしない。
外側にあるものが変わっても、
自分の核まで、
明け渡すわけではない。
最後に判断を戻す場所が、
自分の内側にあるからだ。
私は、
どうしたいのか。
私は、
何をしていると幸せなのか。
私は、
どちらへ行けば息がしやすいのか。
石田さんは、
若い人たちへ、
自分の幸せや生きたい方向は、
自分で探すしかないと話している。
続けることも。
辞めることも。
その選択を、
自分で引き受けていい。
求められていても、譲らないここに、
石田ゆり子さんが纏う空気の
理由がある。
内側には、
自分の人生を自分で決める
強い主権がある。
それは、
自分だけを見て、
周囲を気にしないということではない。
石田さんは、
相手がどんな言葉を求めているのか、
頭の片隅では分かっているという。
それでも、
自分が本当に思っていないことは、
言えない。
糸井重里さんも、
テレビにとって都合のいい答えを
口にする人ではないと語っている。
誰かに反抗して、
自分を通すわけではない。
「私はこうだから」と、
大きく主張するわけでもない。
求められているものが分かっていても、
最後は、
自分が本当に思っていることを選ぶ。
自分の速度で、生きるその在り方は、
自分と他者を比べる場面にも現れている。
妹の石田ひかりさんは、
デビューして間もなく
朝ドラのヒロインを務めた。
一方、
石田さん自身が
念願の朝ドラ出演を果たしたのは、
俳優生活37年目だった。
長く、
「石田ひかりのお姉さん」
「石田姉妹」
と見られてきた。
焦りがなかったわけではない。
それでも、
自分と妹は、
まったく違うタイプだという
自覚があった。
だから、
妹の速度を、
自分の速度にはしなかった。
言葉でも。
仕事でも。
人生の進み方でも。
外側にある基準を、
そのまま、
自分の基準にはしない。
ただ、
息がしやすいか。
身体が拒んでいないか。
自分は、
これを観たいか。
この人たちと、
仕事がしたいか。
石田さんは、
人生を固定的なルールや理屈で固めない。
そのときの自分が、
どう感じているか。
その感覚を、
判断の基準にしている。
だから、
自分の軸を持っていても、
その在り方は硬くならない。
そして、
自分の輪郭を守るために、
外側へ強く出る必要もない。
自分の内側に、
戻る基準があるからだ。
つながる一篇
vol.34 何物かになろうとしない主演俳優になっても、
その人は、
愛称で呼びたくなる人だった。
世間に知られる像は、
大きくなっていく。
それでも、
人との距離を遠ざけない親しみは、
どこから生まれるのか。